尾崎将司 ~日本ゴルフ史上最高のプレイヤー?

かつて日本のゴルフ界はAONと呼ばれる3人のゴルファーによって支えられていました。それぞれのゴルファーの頭文字を取ったこのAONの呼称。Aは1980年の全米オープンであのジャック・ニクラウスと死闘を繰り広げ、1983年にはハワイアン・オープンで日本人初のPGAツアー優勝を果たした青木功。Nは1985年に日本人で初めて獲得賞金額1億円を突破した中嶋常幸。そしてOが、そんな強敵と死闘を繰り広げながらも、この3人の中で最強の名を欲しいままにした「ジャンボ」こと尾崎将司です。

野球選手からゴルフ選手へ

良く知られている話ですが、ジャンボ尾崎は春の選抜高校野球の優勝投手であり、西鉄ライオンズで3年間活躍した プロ野球選手でした。その後プロゴルファー転向を決意し、1970年にプロテスト合格。翌1971年には早くも初優勝と順風満帆なゴルフキャリアをスタートします。

しかし凄いのはここからで、この初優勝から僅か3ヶ月でなんと5勝を挙げたのです。まさしく彼の時代が幕を開けたのでした。そして1973年にはマスターズ・トーナメントで東洋人初の8位入賞を果たし、世界でもその名を知られるようになります。キャリアでは通算12度の賞金王に輝き、特に94年から5年連続で賞金王になった頃の彼の強さは、この時代がAONの時代と言われながら、しかし国内に敵は全くいなかったと言っても過言ではありませんでした。

活躍できなかった海外のトーナメント

そんな国内無双を続けたジャンボ尾崎でしたが、しかし海外のトーナメントでは振るいませんでした。4大メジャーには50回出場し、最高位は1989年の全米オープンの6位。トップ10以内に入ったことは都合3回しかありませんでした。国内でこれほど強いジャンボ尾崎が海外では勝てないことに、世界との距離を感じたゴルフファンも多かったことでしょう。

日本ゴルフ界への貢献

ジャンボ尾崎はただゴルフが強かっただけのゴルファーではありません。兄弟のプロゴルファー、健夫や直道と共にジャンボ軍団を結成し合同自主トレを行っていましたが、ここからは多くのプロゴルファーが巣立って行きました。飯合肇、川岸良兼などのトップゴルファーを排出し、この時期の日本ゴルフ界の底上げに大きく貢献したのです。

尾崎将司は、間違いなく日本ゴルフ史上最も偉大なゴルファーの一人です。1964年の東京オリンピックで聖火ランナーを務めたことは意外と知られていませんが、もしゴルフがオリンピック種目になるのが20年早かったら、きっと出場し活躍していたことでしょう。そうなっていたら、きっと多くのファンが日本でも利用できるこの様なブックメーカー アジアのブックメーカーとゴルフに賭ける で彼の勝利に賭けていたはずです。まだ現役を続ける彼ですが、引退を匂わす発言も出るようになりました。しかしもし引退したとしても、彼のゴルフ界への貢献は今後も続いていくことでしょう。